2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧
多くの石壺の中をのぞいてみたが、番号が書いてあるのはこれだけだった。ほかにもあるのかもしれないが、、、、、 遺跡を調査するときに整理のために書いたものだと思われる。 (撮影日:2011年9月17日)
私が見た“蓋が付いている石壺”はこれ一つだった。 中がどうなっていたかは、残念ながら記憶していない。 (撮影日:2011年9月17日)
壺の外側の白色系と茶色系の色合いもなかなか味があるが、内側の紫色系、藍色系、緑青系のバランスがもっと素晴らしい。 名画を見ているような気分にさせられる。 長時間見つめていても飽きることがない。 壺の大小よりも、こちらのほうが価値があるような気…
石壺の中が空になっているものも多いが、ご覧のように雨水がたまっているものもあった。 あるものには植物が棲みついていた。 (撮影日:2011年9月17日)
ラオス内戦の時、アメリカ軍の爆撃から身を守るために籠もった洞窟があった。 中に入ってみると、高さが20メートルぐらいあり、ひんやりとした空気が漂っていた。 上部に穴が二つ開いていた。 入口の右わきに祭壇があったが、当時もあったのだろうか。 この…
草原の中の踏み固められた狭い場所が時間がたつにつれて小道のようになった。 泥がむき出しになっているので、非常に滑りやすい。 そこを歩いてジャール平原を巡る。 前方に石壺群が見えている。 足元の草の中から絶えず虫の音が聞こえてくる。 心地よい風が…
1960年代半ばからのラオス内戦の時、パテート・ラオ軍を叩くためにアメリカ軍が多数の爆弾を投下した。 立て札によると1964年から1973年までの期間がそうだったらしい。 その爆撃の跡がクレーターとしてジャール平原に数多く残っている。 人間の背丈と比べる…
サイト1の入口の看板に「ここには334個の石壺があり、最大の物は 直径2.5m、高さ2.57m」と書いてあった。 どれが一番大きいのか分からなかったが、この写真の左側の壺もかなり大きかった。 高さが2mぐらいあった。 (撮影日:2011年9月17日)
生憎、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。 ジャール平原・サイト1の印象は何と言ったらいいか。 学術的なことはさておき、とにかく爽やかな伸び伸びとした気分にさせられた。 あたり一面、遮るものがなく遥か遠くに連なる山々、刻々と微妙に表情を変え…
“ジャール平原 サイト1”の入り口にあった注意喚起の看板である。 漫画がカラフルで面白い。 (撮影日:2011年9月17日)
ポーンサワンの街の中心から30分ほどでサイト1に到着した。 私達はバンで行ったが、道に凸凹はあるものの、サイト1まではトゥクトゥクでも行けるとトゥクトゥクの運転手が言っていた。 観光シーズンではないせいか、入口は閑古鳥が鳴いていた。 入場料金は10…
“ジャール”とはフランス語で「壺」を意味する。 石壺がある地域はシェンクワーン県内に60か所以上あり、その総数は1,000個以上になることが判明している。 石壺の中からは人骨、ガラスの小玉、石壺の外周からは、土器片、青銅の腕輪、鉄製のナイフなどが発見…
ポーンサワンに着いた日の夕方、観光ツアーを実施している旅行会社を探し回った。その時に偶然見つけたのがこの宿である。 場所はツーリスト・インフォーメーションのすぐ近くである。 約2時間前、空港から“WHITE ORCHID GUEST HOUSE”へ向かう時にこの前の道…
大変シンプルだが、パンは美味しかった。 コンデンスミルクは、ビエンチャンでは見たことがないブランドだった。 (撮影日:2011年9月17日)
ポーンサワンの街の中心、サイサナ通りである。 朝7時過ぎなのに人通りも交通量も非常に少ない。 多分、観光シーズンではないからだろう。 (撮影日:2011年9月17日)
食堂の看板に“ひらがな”で“おかゆ”と書いてあった。 日本人も客として期待されるぐらいはこの街に来ているという証拠だろう。 「か」と「ゆ」がちょっと歪んでいるところが微笑ましい。 インド料理店があることにも驚いたのだが、この“おかゆ”のメニューにはもっ…
思わぬところで、インド料理店に出くわした。 以前、中国の昆明でインド料理店を見つけた時も驚いたのだが、ポーンサワンは東南アジアの小さい国の田舎街なので、「こんなところにもあるのか !!!」ともっとびっくりした。 夕暮れだったので、暗い写真になっ…
ポーンサワンは寂れているような街だったが、紅くて華やかな花に出合った。 花弁のもとから先まで10cmぐらいある大きい花だった。 この花はビエンチャンではまだ見たことがなかった。 (撮影日:2011年9月16日)
まだ雨季で、観光シーズンでなかったせいか、観光客は少なかった。 シャッターが下りている店舗がかなりあり、そのせいか寂れているような印象だった。 一番下の写真を撮ったのは午後6時4分ごろ。 (撮影日:2011年9月16日)
シェンクワーンでもう一つ忘れてはならないのは、1960年代半ばからのラオス内戦の激戦地だったということだ。 パテート・ラオ軍を叩くためにアメリカ軍が多数の爆弾を投下した。 その爆撃の跡がクレーターとしてジャール平原に数多く残っている。 いまだに除…
食事をしてから少し散歩をした。 宿の近くで露店市が開かれていた。 売られているのは主に野菜だった。 ビエンチャンでは見たことがない大きい筍(タケノコ)に驚いた。 相手が素朴な田舎の人たちなので、近くでカメラを向けるのを躊躇してしまい、ビエンチャ…
空港には午後2時過ぎに着いたのだが、明日からの観光の手配のために他の旅行社やツーリストインフォーメーションを回っていたら、5時を過ぎてしまった。 そこで、夕食をとることにして、宿からほど近い中華料理の店に入った。 店のご主人は中国人だった。 豆…
右の建物に旅行社が入っている 翌日からの二日間の観光について宿の隣にある旅行社へ相談に行った。 たくさんの観光ルートがある観光地で、ハイシーズンの場合は、旅行社は非常に便利で格安なので大変ありがたい。 しかし、観光ルートが少なく、観光シーズン…
「空港からポーンサワンの街の中心までトゥクトゥクで約10分、30,000キープ(約305円)」とガイドブックに書かれていたが、空港の前の広場にはそれほどトゥクトゥクはいなかった。勿論、タクシーはゼロだった。 空港の建物の中で、ゲストハウスの運転手たちが…
田舎の街の空港とあって平屋だった。 壁にジャール平原の絵が描かれていた。 街へ行く手段を探すのに気を取られていて、建物正面とビル内の写真を撮るのを忘れた。 (撮影日:2011年9月16日)
滑走路の周りはそこいらじゅう丈が高い草が生えていた。 周りに高い建物がないので、ビエンチャンよりも空が広い。 ポーンサワンはビエンチャンよりもかなり標高が高い。 そのせいか雲もちょっと違うような気がする。 (撮影日:2011年9月16日) QV401便 QV4…
シェンクワーン県の県庁所在地はポーンサワンで、シェンクワーン空港はここにある。 着陸態勢に入ってから写真を撮った。 山々に囲まれた緑豊かな土地だということが分かる。 (撮影日:2011年9月16日)
飛行時間がわずか30分なので、水平飛行をしている時間はほとんどない。 機内で配られたのは350ccの水とドライフルーツの袋のみだった。 (撮影日:2011年9月16日)
離陸して間もなく、はるか下に広がる景色を撮った。 まだ雨季であったので、広大な水たまり(?)ができていた。 (撮影日:2011年9月16日
3泊4日でシェンクワーンへ行ってきた。 シェンクワーン県はビエンチャン県とルアンプラバ―ン県に挟まれ、謎の石壺群がある。 “ジャール(フランス語で「壺」の意)平原”が観光の目玉である。 バスだとビエンチャンから10~12時間かかる。 費用は95,000~115,00…