アジア、楽園の日々

ラオス、カンボジア、マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシア、ミャンマー、インド、モルディブ、シンガポール、中国などに約20年滞在しました。その時に見たり聞いたりしたことをご紹介させていただきます。

2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

僧坊(ワット・シェントーン)   (ラオス・ルアンプラバーン)

壁の白さが強烈に印象に残っている。 残念ながら、僧侶には出会わなかった。 (撮影日:2011年4月15日)

霊柩車庫(ワット・シェントーン)  (ラオス・ルアンプラバーン)

1960年に行われたシーサワンウォン王の葬儀の時に使われた。 霊柩車が納められている。 黄金の龍を見ていると、盛大な葬儀の様子が甦ってくるようだ。 (撮影日:2011年4月14日&15日)

レッド・チャペル(赤堂)(ワット・シェントーン)  (ラオス・ルアンプラバーン)

本堂のななめ後方にある。 1569年にセーターティラート王によって寝仏が安置された。 外壁は地色がピンクのモザイク画になっているが、これは1957年にブッダ生誕2500年を記念して装飾されたとのこと。 本堂の真後ろにも一回り小さい、似たような祠がある。 …

本堂の背面(ワット・シェントーン)  (ラオス・ルアンプラバーン)

このモザイク画は1960年代に地元の職人達によって作られた“マイ・トーン(黄金の木)”である。 かつてここに立っていたと伝承されている高さ 160メートルの木を表現しており、仏教に関する物語が描かれている。 (撮影日:2011年4月14日)

居場所不明の仏様(ワット・シェントーン)  (ラオス・ルアンプラバーン)

壁面の赤地に黄色の模様と仏像が顔を気に入っている。 しかし、どこで撮ったのか全然記憶にない。 写真の順番で見ると本堂と立像堂の間なのだが、、、、、 (撮影日:2011年4月14日)

立像堂(ワット・シェントーン)   (ラオス・ルアンプラバーン)

立像堂は本堂のすぐわきにある。 中はとても狭い。 小さな立像とその前の床に置いてあるこれまた小さな座像を拝んだ。 14日(木)は開いていたが、15日(金)は扉が閉まっていた。 (撮影日:2011年4月14日&15日)

本堂の壁面(ワット・シェントーン)   (ラオス・ルアンプラバーン)

壁面は黒く塗られ、金色で仏様などの絵が描かれている。 ガイドブックによると伝説上の動物が描かれているそうだが、気がつかなかった。 (撮影日:2011年4月14日)

本堂側面の扉(ワット・シェントーン)   (ラオス・ルアンプラバーン)

ルアンプラバーン国立博物館の“パバーン像安置祠”の扉の様式とはまったく異なるが、この意匠も人を惹きつける魅力がある。 五頭の象の上の人物はこの寺を建立したセーターティラート王だろうか。 (撮影日:2011年4月14日)

本堂で出合ったもの(ワット・シェントーン)    (ラオス・ルアンプラバーン)

金色の座像はワット・シェントーンに関係がある重要な人物らしいが、よくわからない。 (撮影日:2011年4月14日)

銅鑼(ワット・シェントーン)    (ラオス・ルアンプラバーン)

本堂にあった銅鑼(どら)で、直径が1.2メートル以上あった。 叩いてみたが、腹に響くような低音だったと記憶している。 銅鑼のデザインと壁の絵が実によく合っている。 (撮影日:2011年4月14日)

占いの道具?(ワット・シェントーン)   (ラオス・ルアンプラバーン)

以前、これと似たようなものをほかのお寺で見たことがある。 龍の口から流れ出た水が樋を伝わって、流れ落ちるところで占いをすると聞いたことがあるような気がするのだが、よく覚えていない。 (撮影日:2011年4月14日)

本堂の仏像(ワット・シェントーン)   (ラオス・ルアンプラバーン)

大勢の人々が入れ替わり立ち替わり、お祈りをしていた。 仏像の良し悪しは判断できないが、壁、柱、天井の装飾は素晴らしいと思った。 (撮影日:2011年4月14日)

ブーゲンビリア(ワット・シェントーン)   (ラオス・ルアンプラバーン)

ワット・シェントーンの境内に入ってまず目についたのは、高く上に伸びている薄紫色のブーゲンビリアだった。 ワット・シェントーンの屋根を背景にした赤いブーゲンビリアもよかった。 (撮影日:2011年4月14日)

ワット・シェントーン   (ラオス・ルアンプラバーン)

サッカリン通りにある入口 メコン河に半島のように突き出たルアンプラバーンの街の東の端に近い場所にある。 世界遺産に指定されているこの街で一番有名な寺院で、1560年にセーター・ティラート王によって建立された。 ラオスのすべての寺院の中で、最も美し…

Cafe? Ban Vat Sene (ラオス・ルアンプラバーン)

この店はサッカリン通りにある。 この日は休みだったが、建物の外観に雰囲気があるので立ち止まって眺めた。 ラオス語で“Ban”は「村」の意味で、“Vat Sene”は斜め向かいにあるお寺「ワット・セーン」のことである。 (撮影日:2011年4月14日)

“水かけ”の洗礼  (ラオス・ルアンプラバーン)

ルアンプラバーン国立博物館からワット・シェントーンへ向かうとき、シーサワンウォン通りを歩いたが、“水かけ”の洗礼を受けてしまった。 水をかける人たちは誰も「嬉しくて堪らない !!!」という表情だった。 (撮影日:2011年4月14日)

シーサワンウォン通りのマッサージ店   (ラオス・ルアンプラバーン)

通りがかりにマッサージ店があったので、入った 。 1時間で40,000キープ(約421円)だった 。 しかし、あまり上手ではなかった 。 ビエンチャンの店の方がスタッフの質がいいようだ。 (撮影日:2011年4月14日)

パバーン像安置祠    (ラオス・ルアンプラバーン)

中に入って、まず、装飾の豪華さに圧倒された。 木彫りに金と赤を塗った組み合わせはとても迫力があった。 扉や窓に彫られている人物の表情に優しさが溢れていた。 それにあまりにも惹きつけられたため、“パバーン像”がどこにあったのか全然覚えていない。 (…

シーサワンウォン王象   (ラオス・ルアンプラバーン)

シーサワンウォン王は1959年に逝去した。 彼の死後も彼の家族はここに住んでいたが、1975年にパテート・ラオ(現政権)がルアンプラバーンを掌握した後、北部に送られた。 この像の後方に見えているのは、プーシー会議場である。 (撮影日:2011年4月14日)

プーシー会議場   (ラオス・ルアンプラバーン)

ここで夕方からラオスの伝統舞踊のショーが行われるそうだ。 ガイドブックによると、全席指定とのこと。 (撮影日:2011年4月14日)

蓮池   (ラオス・ルアンプラバーン)

蓮池は博物館本館正面から見て右前にある。 名前は蓮池だが、季節外れなのか池の中には濁った水しか見えなかった。 (撮影日:2011年4月14日)

ルアンプラバーン国立博物館本館    (ラオス・ルアンプラバーン)

博物館の建物は1909年に当時のサーサワンウォン王とその家族の住居として建立された。 当時既にフランスがラオス全土を植民地化していた。 フランスはラオス王を保護しているように見せかけるためにこの建物を造った。 1975年にパテート・ラオ(現政権)がルア…

ルアンプラバーン国立博物館入口   (ラオス・ルアンプラバーン)

ルアンプラバーン国立博物館入口はメインストリートであるシーサワンウォン通りに面している。 街全体が観光客で大変賑わっていたが、博物館も同様だった。 入場料金は30,000キープ(約316円)で、5か国語(英語、フランス語、スペイン語、タイ語、日本語)の音…