Malaysia
Cameron Highland での最初の晩は屋台でマレー料理を食べた。 久しぶりに“Milo Ice”を飲んだ。 昔、日本で“ミロ”は子供のための飲み物かと思っていた。 それが1993年に初めてマレーシアへ行ったときに、広く大人たちにも飲まれていることを知ってとても驚い…
3階の窓がでっぱている部屋に泊まった Brinchang の街へ着いた時には小雨が降り出していた。 傘をさして何軒かのホテルを回り、部屋の内容と値段が妥当だと思われ“SILVERSTAR HOTEL”にした。 中国人の女性オーナーと2,3回交渉しているうちに95リンギット(約…
ホテルの3階の部屋から見た Brinchang の中心部の景観 Tanah Rata から地元の路線バスに乗り Brinchang へ向かった。 所要時間は約15分、料金は1.30リンギット(約¥35)だった。 帰りにBrinchang から Tanah Rata までタクシーに乗ったら6リンギット(約¥160)…
KLからのバスはたいていTanah Rata に着く。 Tanah Rata は Cameron Highland の入り口にあたる街だが、うるさくて落ち着かないので、奥にある Brinchang へ行くことにした。 写真の左の建物の中に Brinchang 方面へ行くバスの乗り場がある。 (撮影日:2010…
午前9時KL発のバスでCameron Highland へ行った。 座席は横3列でゆったりしており、十分にリクライニングし、フットレストもついていた。 Air Asia の飛行機の座席とは比較にならないほどいい。 これで35リンギット(約¥940)は決して高くないと思う。 途中で…
KL滞在中に“Cameron Highland”へ行こうと思い、バスの予約をするためにPudurayaバス・ステーションに行ったら、改装工事中だった。 聞いてみると、今は Bukit Jalil で営業しているとのこと。 Chinatown 近くのKota Raya デパートの前からバスに乗り、20分ほ…
宿泊した Hotel Chinatown 2 の近所にあったフードコート。 中華街にあるだけあって、「唐人街美食坊」と漢字表記まであった。 朝食を食べようと思って入ったのだが、脂っこいものが多かったのでやめた。 私が住んでいた2005年にはこの店はなかったような気が…
ビエンチャンを午後3時40分に発って、KLのLCC‐Terminal に着いたのが午後7時25分(マレーシアの方が1時間早い)だった。 そこからバスでKL Sentral まで1時間15分かかった。 さらにKL Sentral からLRT で隣の駅、“Pasar Seni” へ行き、そこから5分ほど歩いて、…
KLタワーからの眺め、前に来た時よりも高層ビルが増えたような気がする 正面に見えているのは、一時「世界一」を誇った“ペトロナス・ツインタワー”である 一週間の休みが取れることになったので、久しぶりにKLへ行くことにした。 2006年1月以来、4年10か月ぶり…
Kuala Selangor はKL から車で1時間半ほどの所にある。マラッカ海峡に面した街である。 河口からちょっと入った場所に有名な“クリスマスツリー”がある。「南国マレーシアでクリスマスツリーとは?」と怪訝な顔をされる方もいるかもしれない。 実は川沿いに茂…
セントラルマーケット2階にある店のクレイポットビーフライスが好きなので、よく食べに行った。この日は中国の春節の最中だった。写真下はセントラルマーケット内部の様子である。 (撮影日:2003年3月2日)
1993年4月に初めてマレーシアへ行って、この駅舎を見た時には、「ああ、マレーシアへ来たんだ!!!」と実感した。 2005年の年末にジョホール・バルから列車で帰ってきた時は、残念ながらこの駅ではなく、新しくできたKL Central 駅だった。 是非一度、この駅を…
India のところに載せる写真を間違えて掲載したわけではありません。これもれっきとした KL の光景です。 Brickfields は KL Central 駅からほど近いところにある地区で、インド人が多く居住していることから “インド人街” とも呼ばれている。 インドの次の…
KL ではクリスマスシーズンになると。どこのショッピングセンターでも非常に大きいクリスマスツーを飾りつけ、クリスマスムードを盛り上げている。 Petronas Twin Towers のは7,8階まで達するほどの高さで、昔あったヤオハンのも同じくらいの高さがあった。 …
2005年のクリスマスの頃から2006年の1月中旬までマレーシアを一人で旅した。 KL Central 駅前のHOTEL SENTRAL で2005年の大晦日の晩を迎えた。真夜中の12時過ぎに新年を祝う花火の音を聴きながら眠った。宿泊代は100リンギット(約3,000円)しなかったと思う。…
マレー半島の東海岸沖にあるレダン島(Pulau Redang)へ Berjaya Air で行った。KLのスバン空港から1時間ぐらいだった。 Berjaya Air は同じく東海岸にあるティオマン島や西海岸にあるランカウィ島などへも定期便が飛んでいる。小型プロペラ機なのでエンジン音…
お菓子のことをマレーシア語で “kuih” という。この写真は pasar malam (夜店)の露店に並んでいたものだ。 当時はどれもひとつ50セン~1リンギット(約15円~30円)ぐらいで、カレー味のようなものもあったが、甘いものが圧倒的に多かった。毎週金曜日の晩、こ…
2度目のマレーシア滞在は2002年4月10日からだった。 到着してすぐ住居探しを始め、この日はBangsar 方面を見て回った。Bangsar の丘の上にあるコンドミニアムに行った時、そのベランダから見た光景である。 中央やや左の一番高いのが KL Tower で、その左が …
KL日本人倶楽部は Taman Seputeh の丘にある。Mid Valley にある Mega Mall から徒歩6~7分の距離である。 家から歩いて5分ほどで行けるので、時々食事に行った。駐車場から西のほうを見たら夕暮れの雲が広がっていた。コンドミニアムが数多く立ち並んでいる…
1993年から1996年まで初めてKLに住んだ時、Taman Desa にあるコンドミニアムのすぐ前の通りでは毎週金曜日の晩、Pasar Malam が開かれていた。金曜日の夕食はほとんどここで食べるほど、気に入っていた。 2002年に2度目に赴任した時は、ここからちょっと離れ…
KLに住んでいた時は家のベランダから花火を眺めることができた。ただ花火が開く高さが日本と比べて低いので、このように一部が欠けて見えることが多かった。 これは2004年の新年を祝う花火の様子である。写真の左に見えているのは Petronas Twin Towers であ…
1993年に初めてマレーシアへ行ったときにこれと出合った。一口飲んで、すぐ虜になった。 「衛生的でない」「氷を作っている水が危ない」と注意してくれる友人達もいたが、延べ6年にわたるマレーシア滞在中に一体何杯飲んだかわからない。2004年当時は1杯1リン…
初めてのマレーシア滞在だった1993年4月~1996年4月のときは、Bangsarには屋台がたくさん出ていたが、2002年に再び行ったときには、前々回に書いたように大きく様変わりしていた。 この晩はわずかに残っている屋台で夕食を食べた。TOMYAM, SEAFOOD, Ikan Bak…
Port Dickson は KL の南西に位置しており、マラッカ海峡に面している。KL から車で1時間半ほどで行くことができるので、週末ここへ遊びに行く KL 在住の人々も多い。 この日はインドネシア方面から飛んでくるという鳥の渡りを見に行ったのだが、朝早く大群…
1993年4月~1996年4月にKLに住んでいたころ、Bangsar にはKL駐在の日本人の家族が多く住んでいたが、中心部はまだのんびりしていた。しかし、2002年4月に6年ぶりに行ったときには、大きく様変わりしていたので、驚いた。 外国人観光客相手のレストラン、パブ…
マレーシアと聞いて、まず思い出すのはこのアイス・カチャンだ。日本風に言えば“かき氷”だが、もっと豪快な感じである。これはコーンとヤムイモのアイスクリームがのっているが、もっと数多くのトッピングが盛られているものもある。 (撮影日:2002年5月)
南国特有のこの雲がとても懐かしい。正面の細い塔が KL Tower、その右に見えるのは Petronas Twin Tower である。当時住んでいた家のベランダから撮影した。 (撮影日:2002年5月9日)
Bukit Bintang Plaza の中にある電話店(?)の様子である。“DaCaMa”の表示を見て、すぐ日本の“docomo”を思い出した。 1994年当時にはKLの街を“pineapple computer”と書いた。宣伝カーが走っているのを見かけた。 リンゴの絵がきれいなパイナップルに変わって…
マレーシア国立のマラヤ大学はクアラ・ルンプール市の西端にある。このため敷地はクアラ・ルンプール市とPetaling Jaya市にまたがっている。 門はいくつかあるが、写真上のKLゲートと写真下のPJゲートがよく利用される。大学内をタクシーがたくさん通ってい…
新年になって二日目にKL上空に大きな虹がかかった。もう5年以上も前のことだが、この虹のことは今でもよく覚えている。中央の高い塔がKLタワー、その右がツウィン・タワーである。 (撮影日:2003年1月2日)