アジア、楽園の日々

ラオス、カンボジア、マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシア、ミャンマー、インド、モルディブ、シンガポール、中国などに約20年滞在しました。その時に見たり聞いたりしたことをご紹介させていただきます。

マレーシア・ドライブ紀行(1994年3月25日~4月10日) 第12日目

1994年4月5日(火) 晴れ

 本日の宿泊 コタバル Windmill Guest House, RM10(¥400) 走行距離146km

 昨夜、屋台がたくさん出ている広場へ行って、夕食を食べた。クアラ・ルンプールと異なり、屋台はほとんどマレー人がやっている。牛肉のトムヤムを食べた。場所によって微妙に味が違うのも楽しみだ。
 
 今日はコタバルの近くを車で回った。
 
 Pengkalan Kubur:河口にあるタイとの国境の街。フェリーボートが行き交っている。検問所の中でも自由に写真を撮らせてくれた。特に、フェリー乗り場では、係官がタイとマレーシアのフェリーが行き交うところを写せとしきりに勧めた。時間を聞くと70分に1回だそうだ。そんなに待てないと言うと、あと数分で出るというので待つことにした。人々も親切で呑気な田舎町の国境だった。

 Pantai Sri Tujuh:ガイドブックにはきれいな砂浜だと書いてあるが、何もないただの海岸だった。

 Tumpat:マレーシア東海岸、最北端の駅。

 Wat Phothivihan:マレーシア最大の寝釈迦仏がある。全長41.2m、高さ10.7m。マレーシアは回教の国だが、北部のこの辺りには、タイが近いせいか仏教寺院が数多くある。仏教の寺を見ると何かほっとするものを感じる。マレーシアのモスク(イスラム寺院)を見ると、その建築様式の美しさに感嘆はするけれどもそれ以上のものが感じられない。しかし、仏教の寺を見ていると、心の底から揺り動かされるようなものを感じる。ふだんは宗教など無縁と思っているが、精神的にはやはり仏教が近いのかなと思う。寝釈迦仏はただ大きいだけという印象だが、この寺の隅に金色の小さい、いい仏像があった。

 Rantau Panjang:内陸にあるタイとの国境の街。ここへ向かっている時、数ヶ所で検問をやっていた。主に国境から来た車を調べているようだったが、それだけ密輸などが多いのだろうかと思った。国境の事務所もPengkalan Kuburに比べると張り詰めた空気と慌しさが漂っていた。係官も厳しく、国境を見たいと言っても許可をくれなかった。しかし、それは別にして、ここは「蝉時雨(せみしぐれ)」の町で、とても印象に残った。日曜日にカパス島で、マレーシアへ来て以来初めて蝉の声を聞いて嬉しかったが、ここでは、騒々しいほど鳴いている。木の枝の間を探したら、日本のミンミンゼミとアブラゼミを一緒にいたようなのが見つかった。鳴き声はうまく書き表せない。街の食堂でナシ・ダギン・メラーを食べた。そこで、タイのテレビ放送を見た。食堂の青年が煙草を一本くれたので吸った。見るとタイ製だった。国境の街を実感した。

 これから、コタバルの街のことを書く。

 昨日の夕方、着いてから泊る所を探した。そして、夜、屋台がたくさん出ている広場へ行った。
ここは昼間は駐車場になっていて、夕方から屋台街になる。クアラ・ルンプールとは違った雰囲気がある。コタバルは昨日、一晩で気に入ってしまったが、町全体というより、この屋台の広場が気に入ってしまったのかもしれない。

 今晩も同じ所へ行った。そして、昨夜とは違う店でミーバンドゥン食べた。ショッピングセンターの体重計で計ったら68kgだった。料金は20セン(¥8)。食べた直後でこれだから、普通は66kg位だろう。日本にいる時は72kg位だったと思うが、大分減量しているので、嬉しくなった。

 さっき、プルフンティアン島のビデオを見た。予定では、明朝コタバルをたって、途中2~3泊してクアラ・ルンプールへ帰ることになっているが、せっかくここまで来ているのだから、プルフンティアン島へ行ってみたい気もしている。クアラ・ルンプールから来るとなるとやはり遠い。明朝、起きてから決めよう。